ディーゼル急行は、よく乗った。
特に、高校、大学を通じて山岳部に入っていたこともあり、節約のためによく使った。
高校生の頃は、冬山や春山登山の時は山陰方面が多く、山陰本線は非電化なので、もっぱらディーゼル急行となる。
12月に冬山で行った氷ノ山は、大阪始発の福知山線の急行だいせん1号だと思う。
1985年の時刻表によれば、大阪駅発8:55、八鹿(ようか)駅着12.53で、隣の兵庫県なのに4時間もかかっている。
さらに、3月に春山で行った大山は、同じ急行だいせん1号で米子駅まで乗った。
米子駅到着が、なんと16:24で、7時間半もかかっている。
途中、あの有名な余部鉄橋を通過するときは、車掌さんのアナウンスがあったのを覚えている。
こんな長時間、高校生が大人しくしているはずがなく、ずっとトランプの大富豪をやっていたと思う。
結構騒がしくしていたような気がするので、後から考えると恥ずかしい。
頂上にテントを張って泊まり、下山したのは昼頃だと思うので、多分、特急やくも号で岡山に出て新幹線で帰ったと思う。
それでも、4時間足らずかかっている。
大学生の時の最長は、夏合宿で剱岳に行き、一旦、信濃大町に下山(多分)した後、再度、五竜岳と唐松岳に登って白馬駅に下山。
そして、急行くろよん号で白馬駅発9:08、松本駅で急行ちくま2号と連結し、京都駅着16:38。
大糸線、中央本線、東海道本線を経由し7時間半もかかっている。
この時は後輩と2人だったので、特に騒ぐことなく景色を楽しんで帰ったと思う。
1本の列車で、夜行列車でもないのに、こんな長時間かかるのは、鉄道好きにとってはたまらない。
なお、この時の往路は、定番の夜行急行きたぐに号で、ディーゼルではないが、京都駅発22:56、富山駅着4:08で、5時間ぐらいで着いている。
きたぐに号は、583系の寝台特急の車両が流用されていたので、空いていたときは、勝手に寝台にしていた憶えがある。
つくづく、いい時代だ。
スマホ時代となってしまった現代、もうこういった時代は来ないのでしょうね。