今日の東洋経済の鉄道の記事、良かったなぁ。

思わず、昔のことを思い出した。


父親が国鉄職員だったこともあり、ディーゼル急行には他の人よりも良く乗ったと思う。

覚えている中で一番古いのは、急行しらはま号。

当時、父親の転勤で白浜駅のすぐ裏の国鉄官舎に住んでいて、毎日、特急くろしお号とか、急行きのくに号とかを見ていた。

駅の裏なので、当然、駅のアナウンスが普通に聞こえていて、子供ながらアナウンスを暗記していたらしい。

それは後日、親から教えてもらったこと。

そんな折り、京都の伏見に住んでいた父方の祖父母が、孫の自分を家に連れて行くため迎えに来てくれたのだ。

その時に乗ったのが、しらはま号。

乗ったのは昭和44年だが、昭和53年の時刻表によれば、始発が白浜駅で、きのくに10号としらはま2号の併結の編成で15時23分に出発する。

紀勢本線、和歌山線、桜井線、関西本線、奈良線とつなげて、京都駅には20時06分に到着する。

京都駅に着いたときには夜だったのを覚えているので、時刻に間違いはないと思う。

京都駅には学生だった叔父さんが車で迎えに来てくれたが、家の近くまで来たところでエンストしたのも良く覚えている。

その後、どれぐらいの期間滞在し、白浜の家にどのようにして帰ったのかは、さっぱり覚えていない。

4~5歳の頃のことだから、仕方ないか。

ディーゼル急行の写真を見ると、あの頃は良かったなぁと、つくづく思う。